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Ys
ETERNAL
ANCIENT Ys VANISHED OMEN 「Ys eternal」
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序文
峠を歩く度に思い出す。山間の名も無き寒村で生まれた私にとって、村外れの
峠の向こうは、すべて未知の世界だった。幼い頃にはその先にも世界があるとは考えてもいなかった。畑仕事を手伝えるようになった頃、私は初めて外の世界を仄かに意識した。
6才くらいの頃だと思う。畑から帰ると、村に初老の行商人が来ていた。それまでにも見たことのある顔だったが、私はこの時まで、時折、
背負子を担いで村に顔を出す老人が、村の人間なのか、それとも、村の外の人間
なのかなどという意識はなかった。老人がくると、決まって村の者たちは寄合いのようにその家に集まり、珍しい話をせがんだ。森で盗賊に襲われそうになって、隠れてやり過ごしたことや、遠
い国の不思議な伝説など、話の内容は老人の体験したことから世界の伝説まで様々だった。だが、まだ子供だった私には、それが外の世界の話であるということが理解できず、いつも自分の村のどこかにその物語の舞台を当てはめて"そんなことが、いつあったのだろう?"と、考えるばかりだった。
それは、父が読んで聴かせてくれた絵物語についても同じだった。
物心ついた時から母はいなかっ
たので、私の相手をしていてくれたのは、いつも父だった。竜退治の物語や、遺跡にアジトを持つ盗賊との戦いを描いた物語も、私にとってはどの話も真実で、問題は常に"どこであった話なのだろう。そこに行ってみたい"という一点だっ
た。ある日私は、話に聞いた「海賊の物語」が、この村のどこにも当てはまらない
ことに気がついた。理由は単純だ。山間の村には海がなかったからだ。
私は海を探して、ふらふらと峠を越えた。幼心にも、峠の先にすべてがあると感じていた私は、峠さえ越えれば、すぐに探しているものが見つかると思っていた。結局、歩けど歩けど山道は続き、峠は越えられず、日暮れが近づいて尾根が赤茶色に染ま
り始めた頃、半ベソをかいて村に戻った。心配して峠の途中まで探しに来てくれた父は、私が泣きながら「海を捜しに行っていた」と答えたのを聞いて、「やっぱり俺の息子だな」と笑った。
父が紀行家をしていたと知ったのはその後のことだ。これは後から教えられたことだが、父はこの村に落ち着く前、紀行家として近隣諸国を巡っていた。私の面倒を見なければならなくなり畑仕事に従事したので、私自身はその時の父の姿を見たことはないが、それからもう少し年を経て、私が文章を読めるようになると、父は自分がまとめた紀行文や旅先で収集した沢山の書物を見せてくれた。
いつも地図を指差し、丁寧に説明してくれる父に
"どうして紀行家になったのか?"と訊ねたことがある。
"自分の目で見たかったからだ。"
父はそう答えた。父が私の理解に合わせてくれたのか、父の答えは私の想いと同じだった。だが、その答えの本当の奥深さを知ったのは、ごく最近のことだ。
50半ばを過ぎてこの村に戻るまで、私は振り返らず、冒険を記録に残そうと
は思わなかった。何故ならば、現在の冒険は余りにも鮮烈で、時には醜く、時に
は悲しい。記録を残せば、その土地の人々が知りたくない過去にも、触れなけ
ればならなくなることもある。私は個人の冒険として知り得た知識を正確に伝え
られないのであれば、無闇に残してはいけないと思った。
ところが、父の歳を過ぎた今となって、父の言葉を思い出し、
"自分の目で見たかったからだ"と答えた父が、何故、紀行文をまとめていたか考えてみた。
父はまず、自分の目で真実を確かめることの尊さを教えてくれたのだ。そしてその真実を残すことで伝えることの大切さを教え、少なくとも私には多大なる影
響を与えた。記録を残すことは危険も伴う。しかし、賢明な者がその試金石に触れ、判断の材料にできれば、似たような過ちは減るに違いない。私は公正に伝えることをここに誓う。
冒険家の仕事とは冒険をすることではなく、冒険で得た様々な宝を、正確に伝えるための努力をすることではないだろうかと思う。
プロマロックへ
故郷の村を離れて一年と半年。
当時17才の私は、ひたすら南へと旅を続けていた。旅に生きることにも馴れ、身を守るための剣技にも、ある程度の自信をつけていた。見知らぬ街を歩く楽しさと辛さが、ようやく一通り判りかけてきた時期だった。
二つの国境を越え、ロムン帝国統括下の最南西、エウロペ大陸のグリア地方に足を踏み入れようとしていた。私は旅の経由地として、その地方で最も大きな港があるプロマロックを目指していた。プロマロックの港はロムン帝国の管轄下にあり、海外の国々と通ずる貿易の拠点だった。どこに向かうにしても、路銀を稼がねばならないし、情報の収集も必要だ。そういった意味でプロマロックは最良の経由地だった。
もっとも、当初はそこへは向わず、南に下る街道を進み、見渡す限りの砂地だというスハラ砂漠へ行くつもりだった。だが、その朝立ち寄った村で、スハラ砂漠一帯は北部を中心とする紛争の真っ最中だと聞き、西へ向かう計画に変更した。冒険の予定は日々変化するものだ。港町なら、そこから北西の国々や多島海へ赴くのも悪くない。そうは言っても、これまで私は冒険と呼べるほどの冒険には、まだ一度もお目に掛かっていなかった。竜との戦いや秘宝の隠された城での冒険など、夢のまた夢。噂を聞いて行ってみても、せいぜい盗掘者の落書きを見つけるだけで、絵物語のような冒険はどこにもなかった。その頃の私は、冒険の匂いを嗅ぎ付けては町から町へと流れるだけで、これといった収穫もなく、その町々で旅を続けるための金を稼ぐ、そんな生活の繰り返しだった。
しかし、私はそんな生活を結構楽しんでいた。旅をしていると、世界が広いということを自分の足の疲れで感じられたからだ。これだけ広い世界なら、きっと本当の冒険がどこかにある。旅先で聴く様々な噂話は、その都度疲れた私に活力を与えてくれた。広大な氷原、燃える水、砂漠の蜃気楼、想像するだけで、どれも私の心を高揚させた。いつか自分もその舞台に足を踏み入れ、この目で確かめる日が来ると、そう信じていた。
プロマロック到着
白樺の多く立ち並ぶ峠道の西の頂上目指して歩いた。天気は上々、初夏の季節を迎えた木々から新緑の香が立ち込めている。空には山鷹の親子が羽根をいっぱいに広げ、風を受け、高々と大きな円を描いていた。日は既に南に差し掛かり、山の尾根からは陽炎が立ち昇っている。上り坂をずっと歩いてきたので蒸すように熱い。道端の大木の側で小休止すると、私は羽織っていた上着を脱ぎ、丸めて背袋に詰め込んだ。背袋から川の水袋を取り出し、一口喉を潤した。水はもう半分も残っていない。この先、水の出る場所は峠の頂上にしかないと、麓の村で聞いていた。もう一口飲みたかったが我慢して、水袋の栓を麻紐で括った。峠の頂上に着いたのは、日も西に傾き始めた頃だった。
村人が教えてくれた湧き水の出る池で水を補充し、渇いた喉を潤した。小さな池の周囲は見晴らしが良く、周りの情景が手に取るように見えた。南と東は一面の山に囲まれ、遥か南には万年雪を被った山々が連なっている。北のほうにはドゥアール海が広がり、西側にはプロマロックの港町が薄っすらと見えた。陽気のせいか霞が掛かり、はっきりとした景色は見えなかったが、その気になって目を凝らして見ると、港に停泊して見える船と数え切れないほどの白壁の家々が確認できた。
町の大きさと、その先に見える海の広大さに、私は大きく身震いをした。その海が、幼い日、村の峠を越えて探しに行こうとした海に思えたのだ。あの時と同じように日暮れが迫っていた。景色が赤み始めた。私は足早に峠を下った。
プロマロックに着いた時には、日はすっかり沈んでいた。
町々の玄関先には松明が掲げられ、手の込んだモザイクタイルの道を明々と照らし出していた。様々な色の細かいモザイクが隙間なく敷き詰められ、炎の照り返しに鮮やかな模様を映し出していた。その模様は、どこへ行けば何があるのか、どの家に誰が住んでいるのかなどの標識や表札の変わりを果たしていた。少々判り辛い模様もあったが、これならこの町が初めてでも、迷う事はないだろうと感心した。私自身、宿の家の描かれてある模様を探し、それが示す方向へ進んだ。一晩は宿でゆっくり休み、明日、仕事を探すつもりだった。異邦人の多い町だった。
肌の色の黒いアフロカ人。顔の半分を布で隠した女性はオリエッタの出身だろう。中には全身に刺青を施し、異様な言葉を話す者たちもいる。彼らのほとんどは、この町に商談に訪れた商人のようだった。日が暮れても交渉の声で賑やかな町だった。道化師の姿も多く見られた。道化師たちは、人の多く集まる広場や港で、手品や動物を使った芸を見せて沸かせていた。私は人々の行き交う大通りを好奇心に目を輝かせながら歩いた。さすがはグリアきっての港町だ。モザイクタイルが導いた宿屋は高そうで、私には敷居が高かった。私は別の宿を探すことにし、大通りから少し離れた場所に、坂の傾斜に建てられた古い船員宿を見つけた。
ビクセンの宿にて
宿屋の主人は、読みかけの本を閉じ、入ってきた私を笑顔で迎えた。
歳はもう40を越えているだろう。口と顎に白髪混じりの鬚を蓄えている。腹は少しでっぷりとしているが、人のよさそうな主人だった。主人はビクセンと名乗った。
石の柱の板張りの床だった。壁は冬に使った暖炉のせいだろう、天井近くまで煤焼けをしていた。頑丈そうだが粗末な宿屋だ。主人の他には気配もなく、中央に小さな机と椅子が3脚あるだけだった。泊まり客もあまりいないようだ。外の賑わいが信じられないほど、中は静かだった。
私は「一晩だけ、泊まりたい」と背袋をおろして主人に告げた。
「泊まるだけなら30デニル、夕食と朝食を付けるのなら、それに5デニル上乗せだ。」
相場よりは幾分安い。私は食事付きにしてくれと頼み、懐から金を出し、前金をテーブルの上に置いた。
「どこから来たのかね?
この国のものではないようだが」
ビクセンは私の服装を見て訊ねた。麻地のシャツとズボン。それに牛皮の袖なし上着。この辺りでは、確かにあまり見掛けない姿だった。ロムン帝国の人々は、絹や毛綿で仕立てた、長くてゆったりとした衣服を纏っている。ビクセンも毛綿のシャツの上に絹のトーガを羽織っていた。
「北東の遠くの方から、山しかないような所さ」
「ほう、どのくらい遠いのだね?」
「馬で十日って所かな。真っ直ぐに来たわけじゃないから、本当はもっとかかるのかもしれない」
「それはまた、さぞかしここまで来るのに苦労したじゃろう」
「いや、そうでもなかったよ」
今にして思えば気のせいだったのだか、少しそっけない返事をしてしまった。
当時プロマロックはロムン本国から一番離れた統括地で、貿易港もあることから、内外の政治にも緊張を保っていた。主人の質問が妙に尋問じみていたのでそうそうに話を打ち切ろうと思った。宿帳の記入が済むと、部屋は3階だと教えてくれた。部屋へ案内するビクセンが階段を登りながら訊ねてきた。
「これからどこへむかうつもりなのかね?」
「北西の方へ向おうと思っているけど」
「そうかい、だったらエステリアだけは止めておいた方がいいぞ。何しろ、あそこは呪われた国だからな」
「呪われた国?」私は思わず聞き返した。
だがその時、下の方で音がした。どうやら別の客が来たようだった。
「海側の一番左の部屋だ。今の話、興味があるんだったら、夕食の後にでも、わしのとこにきな。話してやろう」
そう言ってビクセンは部屋までは案内せず、足早に階下へ降りて行った。

献立はタラのムニエルにホタテのスープ、パン2切れとミルクだった。宿代が安い割には豪華な料理だと思った。貿易で儲かっているので海産物の物価が安いのだろうと私は一人納得した。夕食を宿の食堂で済ませた私は、さっそくビクセンの所へ行った。ビクセンは小さな机の上に紅茶を用意し、エステリアの事について、彼の知る範囲で教えてくれた。
「エステリアはプロマロックとドゥアール海を挟んで、北に40クリメライの所にある小さな島国だ。実際に見た訳じゃないが、あの国には直径2000メライもあるという巨大なすり鉢のような穴が開いているそうだ。しかも、それは何かが落ちたせいでできたわけでもないそうだ」
「じゃあ、一体どうしてできたの?」
「そこまでは、わしも知らんよ」ビクセンは、お手上げという身振りをした。
「エステリアには訳の分からんことがいっぱいだ。すり鉢の側にある『悪魔の塔』だってそうだ。あんなにでかい塔、人間が作ったとは、とうてい信じ難い。大昔、魔物が作ったって噂があるくらいだ」
『悪魔の塔』のことは、ここに来る途中でも、いくつかの場所で耳にしたことがあったが、その場所がエステリアだということまでは意識になかったが、天にも届くほどの巨大な塔のある島が存在することは聞いていた。
「あの国が呪われた国と言われ始めたのは半年くらい前からだ。エステリアは巨大なすり鉢のある断崖の山、プレシェス山に、いくつかの坑道を持っていてな、銀や他の鉱物の産出地として名を上げていた。つい最近までは、このプロマロックとも貿易を続けていたんだ。しかし、半年ほど前からパタリと音信が途絶えてしまったのさ。船が途中で嵐に遭って、エステリアに行きつけないんだ。それに、エステリアから来る船もなくなった。もともとドゥアール海は『霞の海』だなんて言われていて、見通しが悪く、海難事故が多い海だったが、ここまで酷くはなかった。今じゃ、エステリアに向かう船は必ず嵐に遭って海の藻屑だ。商人は大損で、もう、あの国と取り引きしようなんて奴も、いなくなっちまった。船乗りたちまで『嵐の結界』だなんて言って、恐れて近づきゃしない・・・・・・」
私はビクセンの話に夢中になって聞き入った。
「それで、原因はわからないの?」
ビクセンは首を横に振った。
「だめだね。始めのうちは何人もの奴らが、それを調べようと、あの国へ向ったさ。しかし、誰一人として戻って来なかった」
「誰も、戻ってこない・・・・・・。エステリアへは無事に着いているのかも知れない」
「船の破片がいくつもプロマロックにも流れ着いた。生きちゃいないさ・・・・・・」
私が考え耽ってしまったので、ビクセンが話題を変えた。
「ところで、明日からはどうするんだい?」
「この町で仕事を探すよ。当分は働かないと、旅も続けられないからね。どこかいい所、教えてくれないかな?」
ビクセンは顎鬚を撫でながら考えてくれた。
「そうさなあ・・・・・・。もし、力に自慢があるんなら、港の船の荷物を倉庫に運ぶ仕事がいいだろう。俺も昔はよくやったが、あれはいい金になる。住み込みもできるしな。おっと、宿屋の主人が自分で客を手放すようなことを言ってはいかんな」
ビクセンはニヤッと笑った。
「じゃあ、それにするよ」
「明日、港まで案内してやろう。今日は早く眠った方がいい。なにせ、いったその日から働くことになるからな。そうそう、明日の朝、起きたら部屋の窓を開けて海を見るといい。運が良ければ見られるさ」
「見られるって?」
「明日の朝の楽しみにしておこう」
ビクセンにひとつ謎を残されたまま、眠りにつくことになった。歩きづめで疲れていた。その晩は宿に着いた安心感もあり、ベッドに転がると同時に眠りに落ちてしまった。
悪魔の塔
翌朝、窓の隙間から入る優しい光と、外の通りを人々が歩く心地よい足音で目覚めた。裏通までモザイクタイルが貼ってある路地は、硬いが暖かい音をたてた。ベッドの上で耳を澄ますと、通りを行く人々の会話が朝の空気にのって届いた。旅の疲れはすっかり抜けていた。
昨日の夜、宿屋の主人が "明日の朝、部屋の窓を開けて海を見るといい。"と言っていたのを思い出した。
まだ、寝ぼけた顔で西向きの窓を開けると、暗い部屋に眩しい朝の光が差し込んできた。白壁の町並みが、そのままなだらかに海へ傾斜して港に繋がっている。その先には昨日峠から見たドゥアール海が初夏の日差しに照らされて細かく輝いていた。
こんなに美しい海を見たのは初めてだった。沖合いには、漁から戻ってきた漁船の群れが、港を目指してゆっくりと進んで来る。三本マストの交易船が出港しようとしているのも見えた。海鳥の声がここまで聞こえた。それは幼い日、私が『海賊の物語』の舞台に想像した貿易の港そのものだった。山育ちの旅人に気を利かせ、宿屋の主人はこの景色を見せたかったのかと思った。港の風景に期待はしていたが、到達したのが日が落ちてからだったので、すっかり忘れていた。それに、昨日の夜、ビクセンから聞いたエステリアの話は、それ以上の興味を私に抱かせていた。
まさかとは思ったが、私は海の彼方にエステリアを探してみた。港の周囲は鮮明に見えたが、ドゥアール海の遠方は噂通りの『霞の海』で、霧のかかった湖面のように白く濁っていた。私は水平線を横へと眺め、やがて、北の方角で視線を止めた。気をつけて見ないとわからないが、霞の中に何やら輪郭が浮かんでいた。距離感が掴めないので大きさは確かではなかったが、北の水平線に見える島の輪郭は、想像していたよりも近く、大きく感じられた。その輪郭から突き出る巨大な塔の輪郭も確認できた。しばらく口を開けて見ていると、風の具合か光線の加減か、輪郭を取り巻いていた霞が薄らぎ、エステリア全体が見えた。
「あれが・・・・・・悪魔の塔!?」
昨晩のビクセンの話に出た、巨大なすり鉢の近くに聳えるという塔だ。
その時、ドアがノックされ、ビクセンが中に入ってきた。
「おはよう。随分と早起きなんだな。朝食ができとるぞ。冷めないうちに降りてきな」
ビクセンは窓に釘付けになっている私の横にやって来て同じ方角を見つめた。
「これは珍しい。エステリアがこうもはっきりと見られるとは・・・・・・。あんたは運が良かったみたいだな。ドゥアール海は、有名な『霞の海』でな、エステリアはいつも霞を通してでないと見ることができない。今日みたいにはっきりと見えるのは、月に1、2度。悪いときには3ヶ月も、霞しか見えないこともある」
「あの塔は、どのくらいの高さがあるの?」
「船乗りの話では、だいたい300メライはあるって言うぜ」
それにしても、あまりにも巨大だった。噂だけで、それほど巨大なものではないだろうと高を括っていたが、実際に見て、私はその大きさに驚愕した。
呪われた国エステリア
昼過ぎ、宿屋の主人に連れられて、私は港の人足頭を訪ねた。人足頭はノートンという男で、しばらく働かせてもらうことに決まり、宿も人足小屋に移した。ノートンはビクセンよりも若く、立派な体格をしていた。昔は船乗りとして活躍していたそうだ。彼は人望を見込まれ、プロマロックの荷運びを仕切っていた。気さくで朗らかな性格は、水夫たちからも好かれていた。

そんな彼に私は馴染み、何日かすると気軽に話し合える仲になった。仕事が終わり夜にもなれば、ノートンは私たち港の人頭や若い水夫たちを引き連れて船員酒場へ行き、昔、航海で体験した珍しい話を面白可笑しく話してくれた。沖で漂流中に水を分けてくれた妙に優しい海賊の話や、身につけた宝石の重さのために泳げず、沈んでいった憐れな金持ちの話などは傑作だった。私もノートンの話にいつしか聞き惚れていた。
昼間は船の荷の上げ下ろしで汗を掻き、夜は港の仲間と喧騒に紛れて楽しんだ。顔ぶれの中では一番若い私だったが、港の男たちは皆、気の良い人ばかりで、私を子供扱いするようなことはなく対等に接してくれた。この間に私は遊びの中で船乗りの知識をわけてもらうこともできた。海賊に遭った時は?ロープの結わえ方は?
風の読み方は?・・・・・・など、今から考えても、その時に教わったことで何度命を救われたかわからない。
ある日の夜、エステリアの話題が出た。
「あの国はどうなっちまったんだろうなぁ・・・・・・」
酔った水夫が話し始めた。知り合いの船乗りがエステリアに向って消息を絶ったという水夫だった。彼も、もう、その船乗りが生きているとは思っていなかったが、酔ってつい、口から出たのだろう。他の水夫が続けた。
「船の上もわかんねえが、エステリア自体、おかしいって話だ。『嵐の結界』が起こる少し前、あそこから戻ってきた商人に聞いたが、あの国、魔物が出るようになったって言うじゃないか」
「その話なら、俺も聞いたことがある」ノートンが口を開いた。
「ラスティンの鉱山から出てきたのを皮切りに、妙な魔物が森や草原のあちらこちらに現れようになったって話だな。もとからいた野獣まで狂暴になって、人を襲うようになったとも聞く。どのみち、武器がなければあの国では、生き延びられそうもない」
「エステリアの人たちも、生きているかどうか、わからないってことか」若い水夫がそう言って、ブルッと身を震わせた。
『魔物』という響きが、私の胸に引っ掛かった。
『悪魔の塔』といい『魔物』といい、エステリアには不吉な名前が多く使われていた。
「魔物は魔法の力で生み出された生き物なんだよね?」私はノートンに訊ねた。
「ああ。俺たちが信じられる範囲の話じゃないがな。船乗りだった頃、その手の話も何度か聞いたことがある。だがな、俺の聞いた話じゃ、魔物は勝手に生まれてくるもんじゃない。魔法使いの術にしろ、魔道師の呪いにしろ、誰かがそれなりの準備をしなければ、出てくるもんじゃないって話だった」
「誰かがその準備を?」
「それが最近のことなのか、大昔からの因縁が今に出たのかはわからない。わかっているのはエステリアが呪われた島だってことだ」
「呪いで、思い出したが・・・・・・」と、ラム酒を運んできた酒場の主人が話の中に割った。
「もう、1年くらい前のことだ。エステリアから戻ってきた商人がここに寄り、こんなことを話してた。なんでも、ラスティン鉱山の拡張を巡ってエステリアで一悶着あったらしくてな。鉱山の拡張に反対していた土地の神父が、暴徒の襲撃を受けて死んだそうだ。あの時、商人は
"聖職者を殺して、呪いが起きなければいいが”と脅えておったよ」
「その神父の呪いだってのか?」
「わからんがね」
ラスティン鉱山はエステリアに繁栄をもたらしていたが、その影で悲劇も生んでいたのだと私たちは知った。
翌朝も、私は水平線に浮かぶエステリアの影を見つめていた。
あの島の噂を聞けば聞くほど、あの島に渡ってみたいという思いは強くなった。私は自分の求める冒険が霞の向こうにあると信じた。ノートンには、そんな私の気持ちがわかっていたようだった。
「エステリアのことが、そんなに気になるのか?」
桟橋にたち、霞に目を凝らす私に、いつの間にか後ろに来ていたノートンが声を掛けた。
「そろそろ仕事にかかるぞ」
頷いて樽置き場に向おうとした私を彼は呼び止めた。
「宿屋のビクセンから聞いていたが、おまえは冒険を探しているそうじゃないか。おまえがもし、エステリアに渡ろうだなんて考えてるんなら、俺のやることは一つだけだ。おまえをぶん殴ってでも、エステリアに行くのを止めさせることさ。だがな、人には理屈じゃない、定めって奴がある。それをとやかく言うことは、誰にもできやしない。今晩は少しばかり真面目な話をしようじゃないか、アドルよう」
その夜は、いつもとは違い、私とノートンは二人だけで酒場のテーブルについた。港の仲間たちも気を利かせてくれたのか、少し離れたテーブルで騒いでいた。
「今日も、エステリアの方を眺めていたな。やめときな。あの国へ行きたいだなんて思うのは。命を落としちまうだけだぜ」
炒めたジャガイモを口に運びながらノートンは話を続けた。
「ビクセンから聞いたろ。あそこへ向おうとする船は、みんな嵐に遭って海の藻屑になっちまうんだ。『嵐の結界』を抜けようだなんて、とうてい無理な話だ」
ノートンは口の中のものを腹に収めると、ナプキンで口を拭った。
「だいたい、うまくして渡れたところで、お前はエステリアに行って何をするつもりだ?
行ってはみたけれど、無事に着いて良かったね、ってもんじゃないんだぜ」
ノートンの言うことはもっともだった。正直言って、私はそれまで『嵐の結界』を渡り、エステリアに行くこと意外、何も考えていなかった。沸き上がる好奇心のままにそれを望んでいたが、その先で何をするつもりなのか、その行動にどういう意味を見出すのかなどということは、全く念頭になかった。
「それみろ。そんな考えじゃ、無駄死にするだけだな」
自分でもうまく説明できなかった。ただ、『悪魔の塔』を見たあの日から、強く何かを感じていたのは確かだ。それはエステリアの噂を聞く度に胸の底から”渡れ”と疼き出すような訳のわからない感覚として押し寄せた。
幼い日、村の峠を越えようと思った時の気持ち。冒険にあこがれて村を出たものの、これまで一度も冒険らしい冒険にも巡り合っていないことも。プロマロックを見下ろす峠から初めてドゥアール海を見た時のあの感覚。そして『悪魔の塔』を見た時の衝撃。アフロカが紛争の最中でなければ、プロマロックに寄ることもなかったに違いない。
自分の感情から考えれば、旅を続けて来たのは、ただ珍しいものをその目で見たいというだけの理由だったかも知れない。だが、それだけのことなら、エステリアにこれだけの執着を持つことはないと思った。いつしか私はエステリアへ渡ることに、別の意味を見出していた。『嵐の結界』を渡ることができれば、その先に自分のやるべきことがあるように思えたのだ。まだまだ旅を始めて浅かったが、これまでの旅で、おぼろげにだが、判りかけてきたことがあった。それは、言葉にすれば、ごく当たり前のことだ。この世界には人の意志と、それ以外の力が働いているということだ。例えば、どんなにアフロカに行きたいと思っても、アフロカには行けなかった。裏を返せばエステリアに行くつもりなどなかったのに、気がついたら毎日プロマロックの港に立ち、エステリアを眺め、こんなにも惹かれている自分がいる。それが、命を落とすかもしれない危険な挑戦であるにもかかわらず。何かが自分をエステリアに導こうとしているように思えた。
言葉に詰まりながらも、私はそれらのことを正直な気持ちとしてぶつけてみた。
ノートンは顎に手をやり、少し考えてからこう言った。
「けどな、お前だけじゃなく、船でエステリアに向った多くの者たちが、お前と同じ気持ちで行ったのかもしれないぜ。だが、奴らの船は沈んだ。それでもいいのかい?」
「それでもいい。それでも・・・・・・それでも僕は行きたいんだ」
私は自分の思いを確かめるように噛み締めながら、ノートンの目を見て答えた。
ノートンは私の目を見て、私の瞳の中に何かを見付け出そうとしているようだった。真剣な表情でしばらく見入ると、やがて、小さく笑ってから、私の肩を大きな手で叩いた。
「気に入った。賭けてみるか。お前に船を一隻やろう」
その信じられない答えに、私は喜んでいいのか逆に戸惑った。たった十数日、一緒に働いただけの人間を信じ、高価な船を与えると言う。あっけにとられた私にノートンは続けた。
「ただし、それ以上は手伝わない。お前が死んでも葬式も出さない。まして、明日になって、やめるだなんて言い出したら、船の代金はきっちり払ってもらうぜ。ちょうど、お前がこれまでに稼いだ金と同じ額をな」
"やめる”だなんて言うわけがなかった。私は心からノートンに感謝した。
船出の朝
翌朝、青く澄み渡った空に、純白の飛び石を散りばめたような雲が、いくつも滲んでいた。西南の海の彼方には形の出来始めた入道雲も見える。北のエステリアの辺りは、そこだけ霞に包まれて、何も見えなかった。今日も暑くなりそうだと思った。
出発の準備を整えて港に行くと、一隻の小船が桟橋の先に留められてあった。
桟橋には話を聞いた港の仲間が私を見送ろうと待っていた。ノートンは勿論のこと、宿屋のビクセンも、水夫も漁師も、プロマロックで知り合ったすべての人たちが総出で駆けつけてくれていた。
「どうだアドル。いい船だろ」ノートンは人垣を掻き分けて私の前に立った。
「ボニート漁に使う漁師の船だ。一人で操るには手頃な大きさで、そこいらの船よりは数倍頑丈ときてる。まだ、名前もついていない出来立ての船だ。ちっとやそっとの嵐じゃびくともしないぜ」
「ありがとう、ノートンさん」
「おっと、礼なら皆に言ってくれ、俺は話をまとめただけだ。この船は、ここの皆で金を出し合って、注文してた漁師に話をつけて譲ってもらったんだ」
「注文してた漁師ってのは俺だ!」漁師が威勢よく叫んで笑った。桟橋の上に、どっと笑いの渦が起こった。
「皆、ありがとう。何て言って、お礼を言ったらいいのか・・・・・・言葉が出ないよ」
私は本当の言葉も出ないほど嬉しかった。よそ者で、しかもまだ若く、冒険への憧れしか持たない私に、これだけ多くの人々が何かを賭けてくれた。集まった人々は、何一つ見返しを求めてはいなかった。
「俺がその気になったのは "『嵐の結界』を渡ることができれば、その先に自分のやるべきことがあるように思える"
そう、お前が言ったからだ。俺たちゃ、何をやるにも邪魔が入る。今の御時世、港で取り引きするのだって、胸くそ悪いロムン帝国の奴等の許可が必要だ。それだけじゃねぇ、望む仕事につきたいとか、あの娘と仲良くなりたいとか、旅をしたいとか、何でもそうだ。やりたいことには必ず横槍が入る。それでも俺たちは、いつも、いろんなことを望み続ける。いつか叶うと信じているからだ。望むことで強く生きられるからだ。この賭けは、お前だけの賭けじゃない。お前が『嵐の結界』を渡ることができれば、俺たち全員が賭けに勝つのさ。お前が『嵐の結界』で自分を計ろうとしているのと同じようにな。こんな俺たちでも束になれば、お前の望みのひとつくらい、叶えられるってことが嬉しいってのもある。だから、お前は気にすることはねえ。お前はエステリアに着くことだけを考えろ。そしてエステリアで、自分のやるべきことを見つけるんだ」
あの時のノートンの言葉は、今でも克明に思い出すことができる。私の本当の冒険の始まりは、彼が与えてくれたと言っても過言ではない。
宿屋のビクセンは昼に食べろと、竹皮で包んだ固飯をくれた。名も知らぬ水夫は、私に武器を持っているかと聞き、鞘付きの短剣をくれた。
私は一人分の僅かな荷物を船に載せると、海上で必要になりそうな物だけを身につけて、船の帆を広げた。
「もし、無事に生きて帰れたら、あの国で何が起こったのかを教えてくれ!」
進み始めた船にノートンはそう叫んだ。桟橋の人々が口々に激励の言葉を投げ掛けてくれた。私は胸に熱いものを感じ、何度もそれに応え、喉が枯れるほど叫び返した。
嵐の結界
二羽の白い海鳥が、船を追いかけるように上空を付かず離れず旋回する。船は小一時間ほどでプロマロックの港が目視できない場所まで進んだ。午前中の風は順調で、適度な風を受けた麻色の帆は、膨らんだまま、音を立てて震えた。海面を進む船筋が二本の線となって、霞のエステリアに向いていた。初夏と言っても海の上は真夏同様だった。昼に近づくに連れ、容赦ない太陽がドゥアール海の水温を上げ、海面に反射する放射熱と生の太陽の日差しが私を襲った。時折波しぶきが跳ねて体を濡らした。しぶきはベタついたが、体の熱を奪い取ってくれた。
『嵐の結界』は必ず道を阻もうとするだろう。気がつけば、船について来ていた二羽の海鳥も、いつしかいなくなっている。私は少しだけ、話し相手を失ったような寂しさを覚えた。
船が向うエステリアの方角は、相変わらず霞で何も見えなかった。太陽が真上に来た時、位置の確認をしたが、大陸の雪山の峰や岬の位置にズレはなかった。
ただ、見えないのはエステリアだけだ。エステリアはプロマロックの港から北に40クリメライの位置にある。港で得た情報の通りなら、そろそろ『霞の海』の圏内に入る頃だった。私はビクセンに貰った固飯を食べ『嵐の結界』に備えた。
しばらく進むと海の景色が変化を見せた。目指す方向の海面が目に見えて白み始め、まるで朝霧に包まれた湖面のようになったかと思うと、さらに白さは強まり、乳白色の空気が塊となって海を覆った。それは自分の船の1メライ先しか見ることのできないほどの視界で、霞どころか、深い山の中でしか出遭えないような霧だった。初夏の晴天の海が、瞬く間に、船乗りを死に招く精恋伝説にあるような、深い霧の海へと変わった。
船体を打つ波が強くなり、何も見えない白い世界の中で、船が激しく揺れた。波が大きくなっている。追い波のうねりに合わせて昇降する船体が、凍った斜面を滑る小石のように加速度をつけて流れた。帆に繋がる縄を握った手に力がこもった。それでも、まだ、霧と高波だけだ。『嵐の結界』は始まっていない。想像以上の揺れに、私は帆柱に自分の体を括り付けた。こうしておけば、激しい揺れに襲われても、船から放り出されることはないと、ノートンから教えられていたからだ。その途端、高波に押し上げられた船体が大きく上昇し、船が船底をすり抜けたかと思うと、船が宙に浮いだ。白濁の霧の中を船は落下した。落ちる速度も、その高さもわからなかった。目に見えるのは白一色で、落下する感覚だけが私を襲った。ただ白が頬の横を流れ、それを抜けた瞬間、船は暗黒の嵐の海に叩きつけられた。真下から脳天に衝撃が突き上げた。この衝撃には何とかもった。だが、霧を抜けた先こそが『嵐の結界』だった。それは豪雨に煙る狂気の海だった。鉛色の暗雲は稲光と雨の矢を吐き出し、波は丘の小山よりも大きく盛り上がった。雷鳴と土砂降りが、耳鳴りのように響いた。
まるで船は、波に弄ばされる落ち葉のようだった。船に猛烈な勢いで水が溜まり始めた。このままでは、いつか浸水して沈んでしまうか、大波に弾かれてバランスを失い転覆してしまうだろう。そう思っても、荒れ狂う海の上で、為すすべもなかった。船は大波を滑り落ちる間もなく、次に生まれた大波に弾かれ、舳先から海面に突っ込んだ。その途端、海水の騒がしさに代わり、物凄い水流が私を包んだ。渦に翻弄され、船は海の重圧に音もなく砕け散った。藍色の海の中、いくつもの細かい泡が広がっていく・・・・・・。
私は薄れゆく意識の中で、そんな情景を見ていた。
エステリア漂着
一夜が明けようとしている。海原を望む砂浜は、昨日の嵐とは打って変わって、穏やかな朝を迎えようとしていた。まだ太陽が顔を出す前、浜辺は一面の白い霧に包まれ、一寸先も見えない。山側から朝を告げる肌寒い風が吹き、砂浜の北に林立する木立を優しく揺らした。その風は木立を抜け砂浜の霧の絨毯を海へと押しやっていった。砂浜の視界が開けた。未だ夜の暗闇の濃い西の空に、双子の月の姿が浮かんでいる。その月に、嵐のなごりの黒雲の欠片が掛かり、東へとたなびいていく。東の空は、藍から紫、紫から朱へと色を変え、今まさに朝日が昇ろうとしていることを告げていた。天空に残された星々の輝きが、焼け始めた薄い空の中で一際美しく輝いている。私は静かな波の音を聴いていた。全身に潮水のベタベタとした感覚と痛みを感じていたが、もう動く気力も湧かなかった。それよりも、どこかに自分の体が流れ着き、止まったという安堵感が支配していた。太陽が昇るまで、うつ伏せで倒れていようと思った。どうやって助かったのかは覚えていない。必死でもがいて船の木片に掴まり、そしてさらに流されて、気がついたら、木片から手を放し、砂浜らしき場所に這い上がった。そこでまた、意識が遠のいた。
やがて、海を砂浜を木立の森を、この世界に日の光が行き渡った。森の奥から闇を惜しむヨナキドリの高い鳴き声が聞こえた。
起きているのか、寝ているのだかわからないまま、私は倒れていた。太陽の眩しさに我慢できず、ようやく立ち上がろうかと思ったのは、昼の3分の1が過ぎた頃だった。
満ち潮の波が足先を濡らした。空を流れるいわし雲が、私の上に影を落としながら通り過ぎて行く。風は暖かく、太陽は真夏のもののようだった。白い砂浜は、このまま寝ているには眩し過ぎた。髪の毛は塩水に濡らしたまま乾き、バサバサだった。衣服もいたる所が破れている。このまま寝ていたら、干からびてしまいそうだった。波打ち際を離れ、日陰のある木立へと向おうと思った。立ち上がろうとしたが、ぐらりと倒れた。気持ちとは裏腹に、体には命令が行き届かなかった。意識の半分はまだ宙を浮いている。明るい方向に目を向けると、目の前に火花が散った。吐き気もする。たっぷりと潮水を飲んだらしい。私の周りの白い砂浜には、大小いくつもの漂着物が散らばっていた。ほとんどが船の木片のようだった。ここは『嵐の結界』から吐き出された物の流れ着く場所らしい。
「ここは、どこなんだ?」
いくら楽天家の私でも、あれだけの嵐に揉まれて気を失い、偶然流れ着いた先がエステリアであるとは思わなかった。エステリアなら『悪魔の塔』があるはずだ。それを確かめるために、私はもう一度立ち上がる努力を試みた。今度は体が反応するのを確かめながら、ゆっくりと慎重に立ち上がった。木立の森に視界が遮られていた。私は砂浜に足を捕られながら、ふらふらと歩き、森の向こうにある岩山に目をやった。それほど移動する必要はなかった。あまりにも大き過ぎて気づかなかっただけなのだ。そこには、信じられないほどの巨大な物が、天空に向って聳えていた。
「エステリアだ・・・・・・エステリアなんだ・・・・・・・・・・・・」
その塔はプロマロックから見た時よりも、何百倍もの風格を醸し、そこに存在していた。くすんだ青銅色の岩で組んであるのか、日の反射を受けて、少し青みを帯びた輝きを見せている。上の方はそこだけ不気味に集まった渦巻く黒雲を貫き、天空の彼方に消えていた。魔物が作った『悪魔の塔』。呪われた国エステリアの象徴に他ならない。
「嵐の結界を渡れたんだ・・・・・・」
私はこみあげてくる喜びに疲れを忘れ、声を出して笑い始めた。乾燥した喉がヒリヒリ痛んだが、しばらく笑いは止まらなかった。
とにかく、何を始めるにしても、今は安全な場所で体を休めるのが先決だった。
私は動かない体に檄を飛ばしながら、なんとか最初に定めた木立の影まで移動して、海を眺め、尻餅をついた。
水平線の向こうに万年雪を被った峰々が見える。それが、昨日までいたプロマロックのあるエレシア大陸だった。見通しが格別にいい。あちらからは毎日眺めていても、いつも霞を通してでしか見えなかったのに、こちらから見ると、くっきりと見えた。『嵐の結界』の内側と外側とでは見え方が違うのか?それとも『嵐の結界』が荒れ狂った翌日は、いつも鎮まるのだろうか?見当もつかなかったが、妙なことだと思った。
日が真南になるまで休み、私は行動を開始した。疲れは残っていたが、動き回れるくらいには回復した。昨日用意した背袋には冒険に必要な様々な物を入れておいたが、船と一緒に消えてしまった。自分の持ち物は身につけているだけの物しかない。出発の時、水夫に貰った短剣だけが腰紐に固く結ばれ、唯一の所持品として残っていた。
彷徨
私は白い砂浜を東へ歩いた。長さ1クリメライほどの砂浜は、半時もあれば、すべてを歩くことができた。砂浜の東端から赤茶けた絶壁が続いている。崖はそこから曲線を描いて、さらに東に続いていた。崖がどこまで続いているのか興味を持ったが、喉の渇きがそれを許さなかった。声を出そうとすると喉の奥が火傷を負ったように痛い。奪われた水分を補給する必要があった。私は泉を探すために森の中へ足を進めた。
森の中は涼しかった。針葉樹が多く、地面はぬかるんでいた。シンと静まり返り、生き物の気配がまるでない。鳥の囀りぐらい聞こえてもいいものだが、聞こえるのは、自分がぬかるんだ地面を歩くピチャ、ピチャという音だけだった。
しばらく北へ歩くと、水の流れる音が聞こえてきた。その音に先を急いでみると案の定、小川が右から左へと流れていた。足で跨いで渡れるほどの小さな小川だった。ようやく喉を潤すことができるかと思ったが、ひどく濁っている。手に掬ってみると冷たかった。飲んでしまおうかと迷ったが、もう少し小川を上流に上り、水の安全を確かめることにした。やがて木立がまばらになり、森が開け、小さな泉が私の目の前に現われた。源流から集まった小川の水が一度溜まる場所なのだろう。直径5メライほどの円形の池で、水は綺麗に澄んでいた。私は泉の縁に跪いた。一度に水を腹に流し込むと危険なので、何度かうがいをしてから、顔を洗い、それから掌で掬える分だけをゆっくりと飲んだ。冷たい水が喉を通り、腹の中に注がれる。冷たさに、頭が痛くなるほどだった。一息つくと、そのまま腰を降ろし、濡れた手をボロボロになった布で拭った。ようやくこの時になって、私は体中に小さな傷を負っていることに気づいた。海の中で船の藻屑と揉まれた時についたのだろう。上着を脱いでそれを泉の水で洗い、手拭い代わりにして、体についた塩を拭った。かなりしみたが、喉に潤いが戻ったので深刻な痛みではなかった。
それよりも、ここがエステリアだとすれば、魔物や野獣に対する準備をしておく必要があった。日のあるうちに、民家にも辿り着きたい。私は腰紐に結わえてあった短剣を外し、真っ直ぐに伸びた手頃な木の枝を切り落とすと、枝の樹皮を剥いで縄を縒り、その縄で短剣を枝の先にしっかりと結び付けた。本当は剣士の持つような両手持ちの剣が欲しいところだったが、手作りの槍でも、武器がないよりはマシだった。
槍を手に、今度は逆に、小川に沿って下った。民家は飲める水の近くにあるものだ。そう自分に言い聞かせて歩くしかなかった。砂浜から入ってきた方角は覚えていた。私はその前の小川の分かれ目で、砂地に通じる側と違う道を選んだ。
小川は緩るやかに下り、ほんの少しだが、東へ弧を描いて流れていた。ひたすらその流れに従って森を進んだ。
相も変わらず、森はシンと静まり返り、川のせせらぎと自分の足音しか聞こえない。その静けさは、あまりにも無気味で、まるで、見えない魔物にじらされているような感覚だった。向こうはとっくにこちらのことを包囲していて、いつでも襲いかかれるのに、私の行動を森の影から笑みを浮かべて見ているような、そんな嫌な静けさだった。
突然、右手の方でガサッという茂みの揺れる音がした。私は槍の矛先を音のした方に向け身構えた。十分に警戒をしていたつもりだったが、沈黙の時間が余りに多かったためか、反応が遅れた。思った方向とは、まるで違う方向から何かが背中に飛びつき、前のめりに倒れた。首を捻って見ると、赤い犬狼だった。犬狼は喉元に鋭い牙を立てようとしている。咄嗟に私は飛び起き、槍を大きく振るって離れた。背中に激痛が走る。犬狼は振り落とされる一瞬のうちに私の背中に爪を立て、何本もの深く細長い傷をつけていた。その動きは遥かに想像を超えていた。
背中が火照るように熱くなり、脈打つのを感じた。いつの間にか赤い犬狼は6匹現われ、私はすっかり囲まれていた。どう見ても不利だ。背中から流れ出す血は腰から足を伝い、ぬかるんだ地面へと吸い込まれた。出血が多い。このまま戦っても、やがて意識が遠くなり、犬狼たちの餌食となるだろう。私は槍を構えたまま、一歩一歩後ずさって間合いを広げた。何とかこの状況から脱し、人のいる場所に辿り着きたかった。
漂着で失った体力に鞭打ってきたが、もう歩くのが精一杯だった。
一番近くにいた一匹が、たまりかねて私に飛び掛かってきた。私は腰を屈め、その犬狼の喉元に槍を突き刺した。それは見事に命中し、先走った犬狼は声にならない叫び声を上げ、湿った地面に倒れた。これを見た他の犬狼たちは一瞬たじろいだようだったが、状況が変わっていないことを察したのか、再びジワジワと間合いを詰め始めた。今の攻撃を躱せたのはまぐれだった。このまま戦うどころか、あと半時もたてば、自分は動くこともままならなくなりそうだった。
「こんな所で死んでたまるか・・・・・・」
たとえ、戦える状態でなくても、戦わなくては、私に生きる望みはなかった。私は腹を決めると、槍を思い切り振るえるだけの広い場所を求めて犬狼たちを誘った。犬狼たちも私の行動が変わったことを本能で感じたのだろう。警戒し、今までよりは距離を置いて追ってきた。私は小川から道を南に外し、砂浜へ向う方向に犬狼たちを誘導した。木立から抜け出せれば、少しは優位に戦える。森の木漏れ日が広さを増してきた。
いつ火がつくかわからない戦いを引き摺りながら、私は慎重に足を進めた。木漏れ日が直射の日差しに変わった。砂浜に出た。犬狼たちが眩しさに慣れるまでの短い時間が、私に残された最後の勝機だった。
白い砂浜に駆け出ると、つられて犬狼たちも太陽の下に駆け出た。その機を逃さず、私から犬狼の中に飛び込んだ。飛び掛かってくる犬狼の腹を槍で貫いた。体が空中にあるうちは方向を変えられない。それが犬狼の弱点だった。残りは4匹だ。犬狼たちは分散して私を囲もうとしていた。砂浜に出て、一気に片を付ける作戦だったが、彼らも私の作戦にのるほど浅墓ではなかった。私の周りをゆっくりと回り、どう、息の根を止めてやろうかと算段を始めた。体力は限界に達していた。日の照りつける砂浜に出たことが、返って裏目に出ていた。意識が朦朧としてきた。私は槍を水平に構え、どの方向から襲われてもいいように神経を集中させる。あと4匹。それだけを考えようとした。1匹が吠えると、犬狼たちは一斉に襲い掛かってきた。私は最後の力を振り絞って横に飛び、真一文字に槍を振るった。1匹の喉と、もう1匹の腹を槍は横に引き裂いた。2匹は砂の上に落下し、身悶えて悶絶した。あと、2匹だ・・・・・・。戦いを続けようとする気持ちは私の中に残っていた。だが、ここまでだった。私の意識はふいに遠のき、砂地に膝を付いて、ぐらりと倒れた。残った犬狼たちがよだれを垂らしながら近づいてくるのがわかった。私の体は、もう寝返りを打つことさえできなかった。苦痛すら感じない。
激しく打ち鳴らされるドラの音のような大音響も静かに聞こえてきた。なんの音だろう・・・・・・。意識や苦痛までも失った後で、犬狼に自分の肉を食べられている音だろうか・・・・・・。やがて、想像すらできなくなり、私は深い深い眠りに落ちた。
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「イース
失われし古代王国」 冒頭部より (初版原文を翻訳)
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