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白き魔女〜もうひとつの英雄伝説〜

開発:ハドソン
(気分は2playerマイクで「ハドソン、ハドソン、ハドソ〜ン…」)


 
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既に、コンピューター・ロールプレイング・ゲームが「己が役を演じて云々かんぬん・・・」という、テーブルトーク・RPGの流れを汲むコンピューターゲームではなくなりつつあった時代。「英雄伝説III〜もう一つの英雄たちの物語〜白き魔女」は発売された。雑誌からは「斜陽のファルコム」と後ろ指を差され、ファルコム自らもそれをニガ笑いでごまかしていた時代。急激な上昇曲線を描いた黎明期から発展期のピークを過ぎた「技術のファルコム」は、誰の目から見ても明らかに分かるほど、緩やかに下りはじめる”斜陽期”へと突入しつつあった。そんな時代に発売された「英雄伝説III〜」は、その当時のファルコムへの悪評を吹き飛ばすには充分すぎる内容であり、C・RPGの一つの方向性を提示した名作RPGであったと言っても良いだろう。
PC-9801版だけで(と言っても、マイナーチェンジバージョンは多数有る)累計18万本超の売り上げを記録し、末期・PC-9801/21のゲームプレイヤーにとって最早、RPGのスタンダードアイテムと化していた。それ相応の評価があれば、当然多くの人間が手に取るものである。

「英雄伝説III〜」が遺したものはとても大きく、これまでのファルコムゲームの”ファルコムゲームらしさ、ファルコムゲームとしている個性”を根底から覆してしまうほどの物が秘められていた。遊んだ人間によって、良い意味にも、悪い意味の両方にも、様々な解釈ができた。僕個人としては、この「英雄伝説III〜」以降10年が経つが、ファルコムゲームはこのゲームを越えるようなテーマにチャレンジしたゲームは残念ながら存在しないと思っている。(シナリオのテーマで言うならば、旧・英雄伝説IVがかなり奥深いものが有ったのだが…)
「英雄伝説III〜」には様々な物語が用意されている。そのエピソードの多くが、とても感慨深いものであったのだが、ゲーム内で描かれるストーリー最大の事件に関して、開発サイドが用意した安直な解決方法に関しては残念ながら拍子抜けに近いものを感じてしまい賛同できなかったが、(”ガガーブトリロジー”という後日談の大元となっているアレです・・・)結末までの物語を描く様々な過程は、何度も何度も考えさせられるものがあったものです。

今までのファルコムゲームでは描かれなかったこと。たとえば、ゲームのメインテーマや新たな挑戦とも見て取れるゲームデザイン。これらには、キャラクターの思惑をもう一段階深く掘り下げること、と、「誰彼を助けるのではなく、選ばれた勇者でもなく、ただ普通の人間が単に旅をしている」ことへの徹底した描写、そして旅を通して多くの人と出会い、少年たちが成長していく姿を、プレイヤーは少しばかり空の上から見守る視点でプレイすること、などが挙げられる。これはすなわち、プレイヤーは「主人公を操作して、敵を倒して強くなって・・・」という、コンピューター・ロールプレイングゲームの魅力である戦闘を殺して、その全てをストーリーを物語ることに集中させたのである。当時の公告にあった技術的な部分のみをスポイルした「65000パターン以上のAI」とか「高低差を再現したアンジュレーション(?)」とかは、プレイヤーにとってはどうでも良いものであり(実際、Windowsでリメイクされたとき、それらはどうでもいい事象となっていた。)、「英雄伝説III〜」の真に評価されるべき部分は、もっと違うところにあったのだ。

さて、こんな感じで色々と書くと、とっても曖昧で伝わりにくいところがあると思う。実際に書いている僕も、今になって「果たして、こんなんだったっけ?」と自信が無い。でも、この「英雄伝説III〜」が、今の(主流の)ファルコムファンには受けがよく、高く評価されているのを見ていると、悪い気はしないものだ。
僕自身、PC-9801版「英雄伝説III〜」は、一度はコピーソフトを手にしたが、その後に「キャンビー/バリュースター対応版」と「新パッケージ版」の二つを買い、大いに楽しんだものである。思い出のゲームであり、ファルコムゲームが単なる1ソフトハウスのゲームではなく「ファルコムのゲームである」と意識させられたのも、「イースIV」や「ブランディッシュ3リニューアル」そして「英雄伝説III、IV」があったからだ。


良き想い出は、美しき想い出のまま・・・。
しかし、時の流れはそんなファルコムファンの思いを無常に打ち砕く。これこそが現実と言わんばかりに。
7年にも渡って続いたリメイク時代、その長い時間の間で、僕のファルコム観は大きく変わっていったのだった。

そんな、ファルコムリメイク歴史も折り返し地点である三年目の1998年、僕自身、「イースエターナル」など、向上心の欠片も見受けられ無いリメイク作品郡を前にして、気持ちの見切りが付いた頃だろうか、「英雄伝説III〜」のセガサターン版が発売されたというのを耳にした。僕は、1994年に発売された「英雄伝説III〜」が、「なんでPC-ENGINEに移植されなかったんだろう?」と不思議に思っていた人間である。「ドラゴンスレイヤー英雄伝説」のIとIIは(ファルコム移植に定評有る)ハドソンが手がけていると言うのに。(PC-ENGINEの末期は1995年・1996年であるが、その頃には「天使の詩」のような名作RPGが出ているので、まだまだ侮れないハードだったのだ。)結局、PC-ENGINEに「英雄伝説III〜」が移植されることは無く、その後、別メーカーから「英雄伝説III〜」のリメイクがプレイステーションに発売されたのを覚えている。時系列はハッキリしないが、1999年までに発売されていたと思う。現物を持っているのに、プレイステーション版を買ってまで遊ぶものじゃないだろう、とこれはパスした。

しかし、ハドソンは只者ではなかった。
「セガサターンユーザー向け」の大幅アレンジを施した英雄伝説IIIを用意していたのだ。しかし、これには大きな落とし穴があった。まず大抵のプレイヤーが「キャラクターデザイン」で挫折した。いわゆる「見てくれ」がキライ、というやつである。手を付けようとしない「喰わずキライ」とはチョットばかり意味が違う。知ってのとおり、「英雄伝説III〜」は、Windows版の目の下にクマが出来たようなチョットキツイ表情のキャラとは異なり、繊細な絵柄で、イラストのファンも多かった。ゲームの世界観を描くには、イメージイラストも間違えなく一躍買っているのである。例えば、英雄伝説IIIのジュリオとクリスが焚き火を囲んでいる絵などは、その絵一枚だけで、どのようなゲームであるのかを端的に表している、素晴らしいイラストの代名詞である。
アクが強く個性的なアニメ絵に全編差し替えられた「白き魔女〜」。その、ヴィジュアルからは原作テイストの欠片も見受けられず、制作サイドが語るように、既存のファルコムファン・英雄伝説ファンをターゲットとしたものではなく、あくまでサターンのRPGユーザー向けであることを、これでもか!とばかりに主張していた・・・。

でもな、そんなことを開発者が思っていようとも、「白き魔女」というゲームは、ファルコムファンにとっては忘れることの出来ないメモリアル・ゲームだったんだ。たとえタイトルを微妙に変えようとも、極端に「英雄伝説IIIのリメイク」である以上、オリジナル・ゲーム・ファンが手に取ることは当たり前なんだ。
開発サイドの「新たな層をターゲットとし、新しいゲームとして再構築する」というコンセプトは、本来ならば評価すべきことなのである。旧作の「見ているだけのオートバトル」を排除し、オーソドックスなターン性バトルに変更したことや、マップデザインを2Dクオータービューに変えたことなど、見方によっては新作並みの作り変えと言っても良く、その心意気は買うことが出来る。

しかし、どこかで歯車がかみ合わない。
仔熊のバンバンが「キバ」なる武器を装備して殺人熊バリの戦闘をこなしたり、悲しいシーンのはずなのにゲームBGMはオチャラケが流れたり、明らかに世界観をぶち壊している。原作版こそ至上のものである、という極端な思想は否定するが、かけ離れすぎているものもアレだと思う。「白き魔女」のキャラデザインをこなした方は、原作をプレイしたユーザーの多くから寄せられたであろう、殺意に満ちた感想の山を目の前にして、悲観的なコメントを自分のウェブサイト上に残している。

何故だろう・・・。それを考えていくと、行き着く先は、「ゲームの移植」は、その作品に対する情熱が無ければ出来ない仕事であると言うこと、にたどり着くのではなかろうか?

過去のハドソンの移植を思い起こして見てくれ。前作/前々作にあたる「ドラゴンスレイヤー英雄伝説IおよびII」ではどうだろう?これは、システム面に関してもパソコン・オリジナル版では不可能だったジョイパッドを活用した便利(ショートカット)キーを用意し、物語の展開を円滑にしたのみならず、レベルアップ時の魔法ゲージの自動使用にするなど、明らかにユーザーの立場に立った”良い”改良を施したものばかりだ。そうした、プレイアヴィリティーを配慮した細かい変更を考えることも、移植完成度に高い評価をもたらすものだ。

違うゲームを目指したから、過去の「DS英雄伝説I、II」のリメイクとは方向性が違うのは分かる。でも、原作と同じ名前を継承しているからには、原作ファンが手にする可能性も大いに考えなくてはならない。それを汲み取らず、破棄し、自分たちのやりたいように作ったものだから、分かりやすい形で「殺意に満ちたはがき」として原作ファンから「至極当然の」評価が下された。結局のところ、遊んだのはサターンユーザーだけではなく、その多くはファルコムファンであり、原作のファンだったんだよ。