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イースオンラインをプレイ

昨年の8月に、パソコンを買い換えました。
理由は、同年9月発売となっていた「ツヴァイII」を遊ぶためです。そのために、グラフィックボードを別途購入し、マシンもWindosXPでかなり強めのスペックだと思います。
実際に「ツヴァイII」も、最高画質で問題なしでした。
今までに、メインとして使っていたノートPCを完全に仕事用として割り切り、フォーマット後に仕事専用とした、という経緯があります。

で、今は「イース・オンライン」をプレイすることにしました。
MMORPGというジャンルは、何年か前にSEAL ONLINEというゲームにちょこっと参加した以来です。

プレイしてみて、この手のオンラインゲームはファルコムが別に本腰を入れて運営・開発などはする必要はないな、と結論付けたしだいです。
というのも、MMORPGというジャンル、ファルコムゲームの魅力のメインである、感動的なシナリオとか、付随する美しい音楽と連動した演出とか、どっちかというと起承転結がハッキリとした動的なゲームとは別の分野だから、と感じ取ったからです。

基本となるシナリオが用意され、プラス、独立したディスクを用いて追加シナリオを遊ぶことが可能なシステムを持った「ソーサリアン」。ネットゲームに近い構想でしたが、その後は、どうなったのでしょうか。

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コメント (3)

マニア4号:

いや、イース以降のファルコムのノリだけで
あの当時のファルコムや、他のソフト会社の中にあった
創造のエネルギーを切り捨てないで貰えないだろうか?

黎明期というのは、特殊な時代であり、
その当時を生きた人間にしか、どうしても分かりかねる所
安定な形から出発した者には、理解が難解なもので
常に安定な「形」の存在しない事の不安定さと
しかし、次に生まれ出る物への莫大な夢
明日が来るのが不安であり、しかし楽しくもある
そういうあやふやであやふやで掴み所の無い所が
黎明期の黎明期たる所以であって
「ファルコムのノリ」なんて器が出来た後の事で
ファルコムを語るのは、いかがだろうか?

みんなが必ず持つ黎明期とすれば、
赤ん坊から幼稚園小学校中学校とか、その時代
あの「形」が不安定な頃の自分を思い出せばいい
「自分の様な何か」がなんとなく形成された後の自分が
黎明期の急成長していく自分を無意味だと断定できるのか?

ベーシックやマシン語でプログラム書くのが当たり前だった
構造化言語も無い、合理性も糞も無い、混沌とした時代に
「どんな可能性があるのだろう?」と
ただ、箱の中に夢を詰め込めるだけ詰め込んで
溢れ返して明日をワクワクしながら待っていた時代だ

デーモンズリングが、どうして当時衝撃だったのか?

ベーシックのライン文で絵を描いていたADVを
やっていた者達にしか、それは分からない衝撃だ

速度に慣れた現代人には理解なんて無理かもしれない
ベーシックのライン文で、チマチマ描かれるADV「しか」
無かった俺達には、それだけで「面白かった」
待つことが苦痛だという様な奴は、ゲームに根本的に向いてない
色も画も足りなくても、自分の想像力だけで「面白い」
足りないのならば、自分で「補間」すればいい
ー空想してから寝てくださいー の時代だったのさ
しかし、その頭の中にある「補間」している物が、
もし出来たとしたら?
「ここがこうだったら…」と思う、面白いのだけれど
それでも残り続ける不満、要望

それが現れた瞬間が、衝撃なんだ

「こうだったらもっと面白いんじゃないか?」
「こうだったら、今よりも、もっと楽しめるんじゃないか?」

そのイマジネーションが、日進月歩で「現れる」
ドキドキしていたそれが、現れる

「ソーサリアン」というものも、そういう物なんだ

あの時代に、現れた「可能性」の1つ
無限発展型のRPGシステムという、ドラクエの堀井雄二ですら
理論構造を模索して模式図を描いていた可能性
その挑戦の1つだった

後のファルコムの中に、それを追求する意欲が残らなかったとしても
だから「ファルコムではない」ではなくて
ソーサリアンの次の進化体を模索するエネルギーが無くなった、
新しい可能性よりも、安定な器の方がいいと
作り手もユーザーも思ってしまったあの時、
あの時に、黎明の時代だったファルコムは終わって
ファルコムがファルコムたる所以であった物は無くなって
会社という、社会システムの1つになってしまったんだよ

それが、ドラスレ6なんだ

zead:

コメントありがとうございます。

ここで言う下段五行目の「感動とか~」のくだりは、今現在のラインナップであるファルコムゲームの事を指しており、ファルコム黎明までも包括したファルコム大全ではありません。
では、何をさしてそう書いたのかといえば、Win以降のイースシリーズ(エターナル、VI~以降)、ガガーブ三部作、空の軌跡シリーズ、ツヴァイシリーズ、ぐるみん、など、ロングラン・ヒットを続けているリメイク期~新作発表期のものが、それ、だとコメントでは位置づけています。
そうした作品群には、コメントにも書いたような共通するような魅力があり、それがウリだと僕は考えています。

「イースオンライン」は、触れた限りでは典型的な韓国製で、ひとつの安定したMMORPGのようです。それは、それなりの楽しみ方や魅力も見出せると思います。
今のファルコムゲームは、MMORPGによくある、ひたすらクリックすることで敵を倒す、とんでもなく広い平原を走らされるとか、同じ敵を100体倒すクエストを用意するとか、そうしたプレイ時間を延ばすためにあるようなファクターは、極力排除されているように感じます。ネットゲームは常に長い時間遊んでもらうことが至上命題のようで、ゲームクリアー=ゲームをやめること、のようです。

ですから、MMORPGのイースオンラインは、今までどおりのファルコム・ライセンス展開と同じ路線で、外部に完全委託、外部が運営、で十分結構だと思うしだいです。
ファルコムはファルコムで、今現在の支持されているパッケージゲームコンテンツを頑張っていけば良いんじゃないでしょうか、と感じ取り、即、コメントをしたものです。

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下段、ソーサリアンの件は完全に言葉不足です。ソーサリアン・オリジナルではディスク交換のコマンドが用意され、拡張性や発展性もありましたが、音沙汰なく自然消滅しています。(サイト内、新作の項で言及)
そのソーサリアンも、別会社が名前を取得してネットゲーム化しましたが、それも含めた展開がどうなったのかは分かりません、という意を表したかったのですが、出来ていません。

マニア4号:

まぁ、イースオンラインという存在そのものは、
いろんなものを見失っているので、語る所さえ無いと思いますがw

>下段、ソーサリアンの件は完全に言葉不足です。
>ソーサリアン・オリジナルではディスク交換のコマンドが用意され、
>拡張性や発展性もありましたが、音沙汰なく自然消滅しています。
>(サイト内、新作の項で言及)
>そのソーサリアンも、別会社が名前を取得してネットゲーム化しましたが、
>それも含めた展開がどうなったのかは分かりません、
>という意を表したかったのですが、出来ていません。

ソーサリアン・オリジナル が最初から崩壊するのは
何を驚くところもなく、「そりゃそうだろ」ぐらいです

しかし、ソーサリアンの大本は、
「追加シナリオ」「戦国ソーサリアン」
「ピラミッドソーサリアン」「宇宙からの訪問者」
「ギルガメッシュソーサリアン」「セレクテッドソーサリアン」
と5代も続いたわけで、TRPGの思想を取り入れた
ソーサリアンというトライアルは成功したのだと思うのです

問題なのは「リメイク」するから崩壊する事で
我々の様な古代人はソーサリアンのリメイクなんか見ても
「ああ、懐かしいな、グラフィック改良したんか
 でも、昔と比較してみると、いろんな所が欠落してら
 ぬー、だったら『昔のパソ』のあのグラでやりたいな」
ぐらいなんですよ

もう一回、不老不死のキャラ作るのが、しんどいんですよ

ソーサリアンを喜んだファンが望んでいるのは、
「リメイク」なんかじゃない

ソーサリアンの設計思想を更に進化させた、
ソーサリアンシステムの「次」だったんですよ

それは、色々な人間が考えていた無限発展型のRPGで
その思想は受け継がれて、いろんなRPGで繋がったんだけども
(ファルは捨てたというか、
  そういうモノを探求するスタッフが居なくなった)

今のところ、「オンラインゲーム」という1つのゴールを得た

無限発展の為に、マルチユーザーを得ればいい、という思想

しかし…、しかしその結果は、「こんな今」ですよ

「無限発展型のRPGが出来れば、人の心を捕らえて離さない
 魅力的なゲームが出来るんじゃないか?」

そういう「夢」は、まぁ、別の意味で捕らえて離さないゲームを
生み出してしまったわけですが…

当時、そんなシステム設計を考え続けた者が目指していた物とは
きっと微妙に違う何か出来てしまったわけですが…

たとえ、システム設計者が目指していた物が
思惑通り出来ていたとしても
「似たような、こんな今」にしかならなかっただろうから…
出来ようが、出来まいが、項垂れるしか無くなるわけです

「俺達の目指していた物というのは、こんな物だったんだろうか?」

「旅」を、何処かで求めていた古代人達は
「こんな旅」が求めていた旅なのか、分からなくなっているのです
「箱庭の様な世界」で、俺達は旅がしたいのか? と

それは今でも、ソーサリアンを見つめて、
考え続けてしまう事なのです

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2009年05月11日 12:09に投稿されたエントリーのページです。

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